Les archives sauvées des eaux
       /Luc Ferrari avec Otomo Yoshihide

 Archives sauvées des eaux ── アルシーヴ・ソヴェ・デゾー。水から救出されたアーカイヴ。厳密にはアーカイヴたち。私たちが自分の人生を,たとえ断片的にでも物語として持とうとするとき,身体化された記憶によって排除される記憶,外部化される記憶がある。年月の経過とともに忘れさられ,ホコリにまみれ,劣化し,廃物化し,ほとんど自然そのものへと変化していく音響アーカイヴ。納骨堂の,モルグの,押入れの奥の,床下の,庭の物置きの,棚のうえの段ボール箱のなかの,天井裏の,楽器庫の片隅の,じめじめとした暗がりに放置された古文書の束,ゆがみはじめた音響テープ,カビのはえたレコード盤。図書館のような公共施設に,なにかの偶然で運びこまれることでもなければ──いやいや,うちにはそんな人手はありませんよ。なんでこっちが,そんなゴミみたいなものに郵送費まで負担しなくちゃならないんです? 場所? うーん,場所はあるんだけどね,いったい誰がそんなに大量のものを分類整理して棚に収めるの? 即興の歴史? なんですかそれ。現代音楽? そんなものに学術的価値があるんですか。──やがてすべては失われ,その痕跡すらたどれなくなってしまう。歴史は歴史にとって都合のいい記憶だけで自らを構成する。歴史にとって都合の悪いものは,生き残ることさえ許されていない。
廃物化されたサウンドの逆襲,古色蒼然とした傷だらけのレコードや再生装置の色めき,オリジナルであることの権威を剥奪するリサイクル・ミュージック,切断される歴史,ポストモダンの無底の美学──私たちが1980年代にターンテーブル奏者クリスチャン・マークレーとの出会いから受うけとったそれらのものは,「水から救出されたアーカイヴ」の演奏にも揺曳している。水に溺れかけ,ほとんど忘れかけられようとしていた記憶は,もう一度語られること,声を与えられることによって生命を取り戻したいと願っていると思うのだが,ふたりの演奏家にはそうしたことは問題ではないらしく,自分たちのアイデンティティを構築することに没頭している。
そういえば,昔こんなことがあった。1990年代のこと,来日したハイナー・ゲッベルスにインタヴューする機会があり,初期のラジオドラマをテープ・コラージュで作るとき,リュック・フェラーリのような具体音楽を参照したかという質問をしたのである。似たような作業をしていても,そこまでやってきた経路は人それぞれだということなのだろう,彼は現代音楽などまったく参照していないと言った。にわかには信じがたかったのだが,たしかにゲッベルスのテープ作品が持っていた最も重要な要素である政治性を,あるいは粗野なサウンドの暴力性を,はるかにエレガントなフェラーリの作品が欠いていたことは事実である。テープ・コラージュに向かうゲッベルスの動機は,サウンドに刻印された社会性の痕跡をとりあつかうことであり,芸術形式などではなかったからである。マークレーとゲッベルス──大友良英は,彼らを身近に感じ,彼らに多くを学びながら,ターンテーブルに触れる指の思考を重ねることで,彼自身の音楽を創造していった。政治的であること,それは反体制のイデオロギーにふりまわされることを意味するわけではなく,廃物化された,あるいは抑圧された音響の声を聴きとることに他ならなかったのである。「聴く」ことを重視する大友良英の耳は,そのようにして鍛えられた。
「水から救出されたアーカイヴ」において,過去の作品をデジタル化しつつあるリュック・フェラーリは,ライヴ演奏の場にアーカイヴを持ち出すことで,これまで自らがやってきたことを再確認しようとしている。かたや,過去の音楽の記憶を捨てたいと思っている大友良英は,演奏の進行とともに,「徐々にレコードに録音された音の量を減らしていきカートリッジやターンテーブルそのものの音だけを使う演奏に移行,最後は完全にレコードを使わない演奏に」なるというオリジナルな作曲過程を,フェラーリの作品内に持ちこむことで,彼自身の物語を描いている。「水から救出されたアーカイヴ」に立ちあったのは,音響に対して政治的にふるまうことによって,廃物化される音響を救い出そうとするインプロヴァイザーではなく,間違いなくふたりのコンポーザーだった。そもそもの話,ボーナストラックの映像でフェラーリ自身が語っているように,DJオリーブに,eRikmに,マルタン・テトローに,スキャナーに,そして本盤に登場する大友良英に彼が発見したのが,ライヴの現場でインスタント・コンポージングする作曲家だったからこそ,このプロジェクトはスタートすることができたのだろう。

 そのことが最もはっきりとあらわれるのは,改稿されたライナーノートの原テクストである「JAMJAM日記」の当該ページに記録された,演奏の終わり方にまつわるエピソードである。そこで演奏していたのが誰だったのかについて,ライナーノートの大友は,「ここでは作曲家/演奏家というヒエラルキーは完全に消滅していて,コンセプトを提示したフェラーリと,それをもとに自分の演奏を自由に組み立てる対等な二人の演奏家のフェラーリとわたしがいるにすぎない。今現在のフェラーリと大友のままで十分……そういう作曲だったのだ」という自作自解を書き加え,字数制限と外国語訳をされることへの配慮からだろう,くだんのエピソードを消去している。しかしそれこそまさしく(フェラーリとの,ではなく)現代音楽に内蔵された作曲家/演奏家ヒエラルキーとの闘いを記した部分であるだけに,ここではあえて公刊された『大友良英のJAMJAM日記』(※)のテクストにまでさかのぼって問題の所在を再確認し,あわせて大友が試みた解決法について検討してみることにしたい。大友がどんな演奏をしようが,「水から救出されたアーカイヴ」がリュック・フェラーリのコンポジションとして著作権を行使し,その権利を独占してしまうこと,また現代音楽の聴き手たちが,出来事をもっぱら作曲コンセプトの次元で受けとり,響きに触れる経験の位相を言語化する習慣を持たないこと,これらが作曲家/演奏家ヒエラルキーのもたらす効果であることは否定しようがないからである。
以下は『大友良英のJAMJAM日記』にある「2003年10月リュック・フェラーリ特別編 古いレコード棚から救出されたアーカイヴ」に記されたエピソードである。観客がうけとった印象について,自分たちがなにも考えず,ただ自由に即興演奏したわけではないこと,演奏者である自分は,作品に参加する動機を別に確保しながら,「譜面と指示を100%守」って演奏したのだということを述べる一節に登場する。

 そうそう100%譜面を守ったって書いたけれど,一つだけ,フェラーリの指示を守らなかったところがあって,それはエンディング部分の長さに関する指定。私は実際の指定より3~4分長く演奏させてもらった。そのほうが,ここは絶対いいと思ったのもあるけれど,何より,一つくらいは,イエローカード寸前くらいの反則もしておかなくちゃ・・・って思ったのだ。作曲者がすべてを支配する作品なんてフェラーリ自身も望んでいないはずだし,ましてやこのくらいラフで、共演者に自由が許されてる作品で,しかもオレに頼む以上はこんくらい覚悟してもらわないとね。終わりを見失ってるんじゃないかと心配するフェラーリの視線をよそに,ゆっくりとランディング。ごめんねフェラーリさん。でも素敵なエンディングになったでしょ。(大友,171-172頁)

 現代音楽に大きな足跡を残すコンポーザーの作品に対し,決してクレジットされることがないのを承知のうえで,外部記憶としてのレコードから再生装置の楽器性への焦点移動(非常に大雑把にではあるが,佐々木敦の「演奏から音響へ」という定式化に相当するとみなされる移動・移行。Sachiko M のサイン波の「内臓性」と比較すると興味深い)という,オリジナルな演奏史を素描する作曲過程をはさみこんだことは前述した。とりようによっては,いまだ許された作品解釈のレヴェルにあるとも受けとれるそうした演奏の他に,おそらくはあえて作品の最後の部分にきてということだろう,作曲家の指示を守らない反則行為によって「作曲者がすべてを支配する作品」に対する異議申立てをしたというのが,このエピソードの示すところだと思われる。「指示を破る」のではなく「守らない」ということ,大友の言い方に従えば,場外退去を意味するレッドカードにまで行かないイエローカードの,さらにその寸前にあるような行為が示すところは微妙である。というのも,それは即興演奏がそうであるところの創造的裏切りとも受けとれるし,フェラーリの作曲に大友の作曲をぶつけた緊急事態の出来とも受けとれるからである。つまりは,それ自体がグレーゾーンでの出来事になっているのである。

 このように境界線が曖昧なままの即興演奏と作曲作品の相互乗り入れ状態は,具体音楽がそれとして位置づけられる現代音楽の枠組をはずしてみれば,「指揮された即興」以降,ポピュラー音楽の領域では一般的なものであり,リュック・フェラーリの「水から救出されたアーカイヴ」も,即興演奏について理解のないクラシックの演奏家には演奏不可能な作品を,インスタント・コンポージングするDJたちとライヴの場で創造する試みとしてとらえなおすこともできるだろう。ただ,本作品の場合,大友良英の演奏には,作曲家/演奏家ヒエラルキーを温存してしまう即興演奏ではなく,もっと明確な作曲行為ととらえるべき独自の物語性が構築されており,大友の証言にあるように,本人も即興演奏をした実感はないと思われる。
さらに言うなら,大友が同時代的に生きてきた1980年代以降の即興演奏史をふりかえってみれば,(編曲ではなく)作曲内作曲とでも呼ぶべきこうした手法が,ジョン・ゾーンの<コブラ>であるとか,バリー・ガイが主宰するロンドン・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラなどによって幅広く試みられてきたことに気づくだろう。後者では,例えば,楽団員であるエヴァン・パーカーのトリオ・メンバーが同じオーケストラ内に揃っているため,そのことを利用して,バリー・ガイの作品内にトリオが演奏する場所を作るという,自分の作品内でそのときだけ作曲権の臨時移譲をおこなうような試みがなされたりしてきた。近年話題となった高橋悠治の「ゴルトベルク変奏曲」なども,こうしたありように限りなく近い作曲内作曲と呼べるのではないだろうか。少なくとも,これらの演奏が,従来の作品解釈の域を大きく逸脱していることは間違いないだろう。予断を承知でいえば,自らにとって異質なるもの,不均衡なるものを,限界ぎりぎりまで抱えようとする,平均律化された西洋音楽を越えるポスト・コンポジションの時代のコンポジション(一般にどう呼ぶのが適切なのか,寡聞にして知らない)の新たな潮流が,西欧音楽の外部で始まっていると考えるべきかもしれない。
実際に聴くことのできる「水から救出されたアーカイヴ」の演奏は,使用サウンドの個性を際立たせた6つのシークエンスが,ノン・ストップで演奏されていくサウンド・モンタージュの作品になっている。楽曲の前半に展開される,レコードを主体にしたサンプリング感覚の演奏は,しばしば「耳で聴くシネマ」と呼ばれるようなサウンドの絵画性が特徴をなしているが,その一方,カートリッジやトーンアームやターンテーブルそのものを楽器化する後半のシークエンスでは,躍動するサウンドを主体とする演奏性が前面に押し出され,大友の饒舌な即興スタイルが強く自己を主張している。カートリッジのような先端的な部分の楽器化ではあっても,そこには演奏家の身体性の突出というべきものがたちあらわれている。フェラーリの指示を守らなかった最後の数分間というのは,おそらく楽曲の最初の部分で使われた子供たちの声などが,オーバーチュア的に再登場してくる以降に展開されるシークエンスで,ガンジス川や黄河といった大河の流れを思わせる雄大なサウンド・オスティナートが,あたかも巨大な龍が身をくねらせながらゆっくりゆっくりと昇天していくようにその影を消していく場面のことだろう。すぐれてアジア的に響くこの部分が,レコード盤に刻みこまれた音響記憶をモンタージュする音楽から,音響機器そのものを楽器化する “記憶を持たない” 音楽へ,さらにその先で展開されている “記憶を持たない” 音響そのもののメッセージ性を前面に引き出す試みの,ひとつの成果としてあることは間違いないように思われる。

2008年12月17日~19日 北里義之(音場舎)<mixiの記事を転載>